昔話2
14の時に、彫りが終わった頃。ようやく両足で立っていられるようになった時に、
その女がいつの間にか集落に訪れていた事を知った。
集落の外から人が来るのは珍しくない。伝わる術が変っている事もあり、
遥か向こうの、なんたら学院とやらの偉いさんが訪れる事も、ある。
大抵が、老婆の所か一番強い戦士の家で、短くて数時間、長くても数週間で去っていく。
集落の外の話を聞きたがるのは子供ばかりで、いくつか歳を重ねると、聞く気も起きなくなっていた。
なぜなら、外から来る連中の話は、何を言ってるのか判らないほど、難しいからだ。
わざとそうしていたのか、とすら思う。
もしかしたら、本当にわざとそうしていたのかもしれない。国境の集落などという辺境地、
子供に外界のことを聞かせて、厄介でも起きれば偉い術者だか学者からすれば、たまったものじゃない。
なので、子供がわからない、歳が多少いっても判らない程度の難しさで言ったのだろう。たぶん・・。
だが、そのいつの間にか集落に訪れていた女はちょっと違っていた。
女は「エシ」と呼ばれており、術ではなく色の作り方の方を学んでいた。
多少術を齧り始めた頃の俺が見ても判るほどに魔力は無い。ここまで無いやつも珍しいほどに。
「エシ」は珍しく、三番目に強い戦士である親父の家に数週間留まることになった。
目当ては、術そのものではなく、作られる色の方であったから、親父・・というより、母親の元へ学びに来たのだった。
兄貴に押し付けられ、姉貴に放棄され、仕方なく俺が母親からエシへの指南補助を行う事にもなった。
そうすると、必然的に喋る機会も増える。
相手の言葉は時々判らず、またこちらの言葉も相手に伝わっていないようだったが…。
俺への勉強も兼ねて、補助が中心にエシへ作り方を教えるように変っていくと、他愛ない話の相手は俺に変わった。
他愛ない気軽さのせいか、迂闊にも、一週間ほど前に、彫りを終えたという話までしてしまった。
ヤバイ、ときづいた時に、背筋が冷えこんだ。
あまり儀式ばったことは、他所の人に言うべきではない・・・と、本能的に思ったのだった。
「エシ」の故郷にも同じ様な儀式がある、という事を聞いた時には、ちょっとホッとしたものだ。
けれど、その跡は、既に無いと言う。昔、戦いの最中に大怪我を負い、焼けただれてしまったのだと。
そういって見せてくれた右肩から手の先、そして左手は、父親と巻けず劣らずゴツゴツとして、母親のように分厚かった。
だが、手は冷たかった。
女の手じゃないようでしょ。ハハ。腕相撲も結構強いんだよ。
と言って見せてくれた力瘤に、若干負けたと思った。
その「跡」がなくなって、どうなったんだ?と尋ねると、
何もどうってことはない。自由になったな、という感はあったけどさ。
あまり代わり映えはしないな。
君の両方のかかとの刺青だってさ、そうさ。
そのうち無くなるのさ。
失くすことも出来るさ。
赤が残るか?青が残るか?
それによって、生き様が決められるなんてのはばかばかしい。
緑色の色を作りながら、「エシ」はそう言った。
言っている意味は判っていた。最後の方の言葉などは他所の国の言葉で言った。
それでも、言っている意味は判った。判った気になっていたかもしれないけれど、そう言ったに違いない。
まだ、時じゃないぜ、坊主。
俺の心を読んだように、「エシ」は笑った。今度はこの集落の言葉で。
もう少し待ちなよ、君の腕はまだ、私よりも細い。
居ても立っても居られなくなったら、目の前のことに打ち込みたまい。少年。
真緑色に染まった、剣タコもペンタコも備えた無骨な手で、
「エシ」は2本指を立てた、ピースサインを俺に向けた。
―― 一週間後に、「エシ」は集落を後にし…思い返してみても、
外の国の話は何一つ聞く事は無かった。
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